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名古屋高等裁判所 昭和51年(ネ)176号 判決 1980年12月18日

控訴人

A

右訴訟代理人

平田精甫

被控訴人

宗教法人

聖心布教会

右代表者代表役員

フランシス・クワーク

右訴訟代理人

大脇保彦

外四名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一本件訴の適否について

一被控訴人教会における会員の地位について

被控訴人は、本訴の対象である被控訴人教会における会員たる地位は宗教上の地位であり、裁判所法三条にいう法律上の争訟に当らない旨主張する。

1  そこでまず会員の地位にかかわりをもつ宗教団体修道会聖心布教会(以下、たんに「修道会」という。)及び被控訴人教会の組織並びに相互の関係についてみるに、<証拠>を合わせ考えると、次の事実が認められる。

(一) 修道会は、一八五四年フランス国イスダンにおいてジュリオ・シュワリエ神父によつて設立された修道会であり、ローマ法皇庁を頂点とするカトリック教会に属し、その目的は、世界を通じイエズスの「聖心」を永遠に愛せしめんがために教義をひろめ、儀式を行うことなどを目的とする宗教団体である。修道会は、ローマに総本部を設け、その下部組織として世界各地に本部を置き、さらに本部の下に管区を設置しており、これらが全体として一個の教団を構成している。日本には聖心布教会日本管区が置かれているが、これはオーストラリア地区本部に所属し、被控訴人教会は日本管区の統轄下にある。

(二) 被控訴人教会は、修道会が日本において、宗教法人法に基づいて法人格を取得したもので、具体的には昭和二五年六月宗教法人令により設立され、宗教法人法施行後の昭和二八年四月あたらしく同法に基づき宗教法人として設立登記を完了し、現在の被控訴人教会となつたものである。

(三) 被控訴人教会には宗教法人法で制定が義務づけられている宗教法人聖心布教会規則があるほか被控訴人教会を含めた宗教団体たる修道会全体を規律する自律規範としてカノン法及び典範があり、右カノン法及び典範の存在及び内容は当裁判所に顕著なところである(なお、カノン法及び典範の関係部分は別紙(一)、(二)に参考添付する。)。

2  次に、控訴人が本訴において求めている会員たる地位の具体的内容について検討するに、被控訴人教会規則一四条によれば「この会の会員は、カトリック信者で、この会の会員名簿に登録された者とする。」と規定するのみで、会員の地位、内容につきなんらの定めがない。しかしながら前記認定のように被控訴人教会は修道会が日本において法人格を取得した宗教法人であり、宗教団体たる修道会に包括される関係をもち、これらすべてを規律するものとしてカノン法及び典範が存在することは明らかである。これらの関係からすると、被控訴人規則に会員たる者の地位、内容について具体的な定めがないのは、カノン法及び典範の定めるところに従うことを当然の前提として規定しているものと解せられる。そして<証拠>及び当裁判所に顕著なカノン法によれば、修道会会員としての入会資格は、聖職者であり、かつ三誓願を立て、修道者となることが必要とされること(カノン法一〇八条、一一一条)、控訴人が聖職者(司祭)であり、かつ修道者として、修道会及び被控訴人教会の会員となつたこと、修道会会員であることが被包括教会である被控訴人教会の会員となるための要件であることがそれぞれ認められ、また、修道会会員たる地位の喪失により当然被控訴人教会の会員たる地位を喪失する関係にあることは、当事者間に争いのないところである。したがつて、控訴人が本件において、確認を求めでいる被控訴人教会における会員たる地位とは、たんに宗教法人たる被控訴人教会の構成員たる地位のみならず、右にいう聖職者(司祭)及び修道者たる地位を包含した意味での会員たる地位の確認を求めているものと解せられる。

そこで、以下カノン法及び典範における聖職者及び修道者の地位並びに控訴人の被控訴人教会における具体的職分について検討してみるに、カノン法によると、カトリック教では平信者とは別に、初剃髪によつて聖職についた者は、神キリストよりその地位と権利を授けられた聖職者として、司教、司祭、助祭の地位(品級)が設けられ(同法一〇八条)、あらゆる聖職者は、一定の教区又は修道会に所属することになつており、無所属の聖職者たることは許されない(同法一一一条)。聖職者が従順、貞潔、清貧の誓願をたて修道会に入会することによつて修道者(修道会会員)と呼ばれ、修道者は一定の修道会に所属し、聖職者一般の義務のほか継続して共同生活を営むことを義務づけられている(同法四八七条、五九四条)。また、被控訴人教会規則によれば、被控訴人教会にあつては、聖職者たる修道者は、カノン法及び典範の定めに従うほか、ミサ、聖祭などの祭儀を主宰し、教義を布教し、広く慈善事業や、教育活動、社会活動の諸事業を行うものとされている。控訴人は、オーストラリア国籍をもち、昭和二四年聖職者(司祭)の資格を得て終身誓願者となり、昭和二七年二月来日し、昭和三八年から昭和四一年にかけてロンドン大学に留学していた期間を除き、被控訴人教会の会員として教会の事業に従事し、本件除名処分までは名古屋市北区七夕町一丁目五五番地所在の被控訴人教会の建物内に居住していたことは当事者間に争いがなく、また<証拠>によれば、控訴人は、被控訴人教会の会員として、教会内でミサ、説教を行うほか伝道活動に従事し、そのかたわら教会から派遣されて、名古屋英語アカデミーを設立して初代院長となり、その他カトリック・センターを設けたり、教会内の英語教室での授業を担当していたこと、また被控訴人教会内での会員の生活は、他の会員との共同生活形態をとり、会員の日常の生活経費はすべて被控訴人教会によつて支出維持されており、会員の前記教育活動等によつて得られる個人的収入は、すべて被控訴人教会に帰属し、その都度教会に納入すべきものとされていた。以上の事実を認めることができ、ほかに右認定を動かすに足る証拠はない。

3  ところで、裁判所が、法律上の争訟として裁判に関与できるのは、法律を適用することによつて解決しうべき一定の具体的権利義務関係が存在することを要するものというべきところ、以上1、2認定の事実関係からすると、力トリック教会における聖職者たる修道者の地位は、神キリストからその地位と権利を授権された聖なる地位であるというのであり、かつその主たる任務は、当該修道会におけるミサ、聖祭等の祭儀を主宰し、また教義を布教し、信者を教化する等の宗教的活動に従事することを内容としており、この限りにおいて、この地位は宗教上の地位であるということができる。また、控訴人は、被控訴人教会における構成員ではあつても、たんなる会員であり、被控訴人教会規則による宗教法人の管理機関としての役割を果すものでもない。

しかしながら、主たる任務が宗教的活動に従事することにあり、その限度において、それが宗教上の地位であると言い得ても、そのことによつて一切の法律的側面を否定し、また宗教法人の機関たる地位にないことの故をもつて、一切の法律関係を否定し去るべき論理的必然性はない。控訴人は、宗教法人たる被控訴人教会の構成員として、間接的にしろ教会の運営に参画し、またカノン法第一一八条により司祭として、教会禄と恩給を受給する権利をもつほか、被控訴人教会の建物に居住し、これを無償で使用することを許されており、毎月の生活経費等はすべて被控訴人教会において負担しているものであり、さらに、広く社会に進出して教育、社会福祉、慈善の諸事業を教会の方針に則つて分担実行しており、これを世俗的、具体的な見地からみれば、これらを通じて得られる社会的地位、経済的利益は、控訴人の職務に対する対価とは評価できないとしても、控訴人にとつて重大な社会生活上の利益であり、被控訴人教会と控訴人との間における法的保護に価する具体的権利義務関係と評価して差支えない。以上のような被控訴人教会と控訴人との間の世俗的、具体的なかかわり合いを総合して考えると、被控訴人教会における控訴人の会員たる地位は、主要な面において宗教的側面を有することは明らかであるが、他面法律的側面を持つことは否定できず、このような法律上の具体的権利義務関係が認められる以上法律上の地位があると解すべきである。

そうすると、控訴人の被控訴人教会における会員たる地位の存否に関する争いは、裁判所法三条にいう法律上の争訟にほかならず、その確認を求める利益と必要があるものといわねばならない。

4  被控訴人は、聖職者及び修道者たる地位は宗教上の地位であること、及び法律上の地位があるというためには、これらの地位が宗教法人法又はこれに基づき定められた被控訴人教会規則に明示され、かつこれの適用に関して生じた紛争でなければならないところ、本件はそれに該当しないこと等を理由に、法律上の争訟に当らない旨主張するが、本件は聖職者及び修道者たる一般的地位の確認を求めるものではなく、聖職者でありかつ修道者たる身分を持つ控訴人の宗教法人たる被控訴人教会における会員たる地位の確認を求めるものであるから、それは、被控訴人教会内の会員としての具体的職分をも基礎として、これの法律的争訟性を認定すべきものである。また、その地位が宗教法人法上又はこれに基づき定められた規則に明示されていないことから、直ちに当該法人とその所属者との法律的側面を否定すべきものといえないことは、前記説示のとおりである。また、被控訴人は、被控訴人教会における会員たる地位(聖職者及び修道者の身分を包含する)は、市民法にいう私有財産ないし市民生活上の利益と無関係であり、政教分離の原則、信教の自由の原則からしても裁判所はこれに介入できない旨主張する。しかしながら、裁判所が介入すべきかどうかは、対象となるものが法律上の権利義務に関するかどうかによつて決められるべき問題であり、これが肯定される場合になおかつ介入を禁ずべき理由は見出しえない。この意味において、宗教団体内部の紛争について、宗教団体は常に治外法権をもつものとはいえない。

もつとも、憲法及び宗教法人法上、宗教法人は一般私法人と比較して特殊な性格をもつていることは、被控訴人主張のとおりであるが、このことは、裁判所の介入を禁止するものではなく、介入するにさいしての限度をどの程度にするかの問題として考慮すべきであり、これをもつて法律上の争訟性を否定する理由となしえない。

二教会裁判所の管轄専属問題について

被控訴人は、本件除名処分がカノン法六五三条、典範一五六条に基づいて行われたこと、右除名に関する管轄は、カノン法上教会裁判所に属し、その手続及び制度は完結した法体系を形成しており、このような場合、管轄は教会裁判所に専属し、世俗裁判所は管轄権を有しない旨主張する。

しかしながら、世俗裁判所が宗教団体内部の紛争に介入できるかどうかは、その対象が法律上の争訟であるか否かによつて決められるべきこと前記説示のとおりであり、たとえ自治規範が完備し、同規範において、かりに管轄を専属する旨規定していたとしても、これのみによつて世俗裁判所の管轄を否定する理由とはならない。

三被告適格について

被控訴人は、本件については、除名処分以前に控訴人に対し帰国命令が出されており、これによつて控訴人はすでに被控訴人教会における会員たる地位を喪失し、その後の除名処分に関し被控訴人は被告適格を有しない旨主張する。

しかしながら、帰国命令によつて直ちに会員たる地位を喪失するかどうかは、本件全証拠によつても明らかでなく、かつ後記認定のように、被控訴人代表者自らカノン法六五三条、典範一五六条所定の現地上長者として帰国命令発出後、控訴人が被控訴人教会の会員であることを前提として、除名処分を行つていることが認められるから、いずれにしても、被控訴人に被告適格があることを否定することはできない。

次に被控訴人は、本件除名処分に関与した修道会オーストラリア地区、同ローマ本部、ローマ修道聖省、ローマ法皇のすべての機関を相手にしない限り、会員たる地位を画一的に確定することはできず、被控訴人教会のみでは被告適格を欠く旨主張する。

しかしながら、控訴人が本訴で対象としているのは、修道会からすれば部分地域である日本国のみに限定した意味での会員たる地位を求めているもので、我が国と地域的にかかわりをもたない普遍的、一般的な修道会会員たる地位の確認を求めているものではない。したがつて、本件の結果によつて修道会会員たる地位が宗教団体内部で画一的に確定されるものではなく、地域的にみて相対的にその地位の存否が定められる結果を生ずることは、我が国の裁判権の及ぶ範囲に限界がある以上避けられないことである。

そして、右に述べたような限定された範囲内での会員たる地位については、前記説示のように被控訴人教会を被告としたことについてなんら不適法はない。

第二本案について

一世俗裁判所の介入の限度について

本件は、宗教法人がこれに所属する会員に対してした除名処分の効力の有無が対象となつている。ところで、宗教団体内部の問題については、憲法及び宗教法人法で規定される宗教団体の自律性の観点からすると、当該宗教団体内部においてのみ自治的に決せられるべき教義の解釈、判断、適用に関しては、世俗裁判所において、その当否を判断することは許されないものと解される(憲法二〇条、宗教法人法一条二項、八五条参照)。したがつて、本件除名処分の効力の判断に当つても、除名理由がカトリック教の教義にかかわりをもつていることに鑑み、その適用法規範、その処分内容及び手続について、カノン法及び典範の各法条の解釈、適用を行うものではなく、専らこれについて公序良俗違反等これを容認することが我が国の国家秩序維持の面からみて許されないと認められるような著しい裁量権の逸脱があつたかどうかの観点からその効力を判断すべきものと考える。

そこで、以下、右基準に従つて本件除名処分の効力について検討する。

二カノン法及び典範の適法性について

本件除名処分の要件及びその手続がカノン法及び典範の定めるところによつて行われたことは、被控訴人の主張によつて明らかなところである。ところで、カノン法及び典範が、カトリック教会の組織活動並びに同教会所属者を規律の対象とするものであり、国家や市民とはなんらのかかわりを持たない国際的性格を有する宗教団体内部の自治規範であることは、弁論の全趣旨に照らし、明らかなところである。そして、当裁判所に顕著なカノン法及び典範によれば、聖職者、修道者等について、カトリック教の教義に基づき、一般市民の基本的人権条項と対比した場合、その権利を制限し、又は遵守を義務づけられた条項があり、本件除名理由で問題とされる修道者に課せられた従順、貞潔、清貧の三誓願も一般市民の基本的権利を制約するものであることは明らかである。しかしながら、これら対象者が、カトリック教会内の自律規範である法典等の適用をうけて、各種の戒律遵守の義務を負い、又は自律規範の違反を理由として各種の制裁をうけるのは、自らの自由意志に基づいて、その教義に共鳴入信し、同法典等によつて規律されることを受忍したからにほかならず、その制裁が国家刑罰権の行使と抵触しない以上、自らの自由意志により入会及び退会の自由を保障しているこれらカノン法及び典範の規定そのものについて、公序良俗は成立しないものというべきである。

三本件除名処分の効力について

控訴人が、修道会会員になるにさいし、従順、貞潔、清貧の三誓願をしたこと、及び昭和四七年三月二二日カノン法六五三条及び典範一五六条に基づいて退会(除名)処分をうけたことは当事者間に争いがない。

<証拠>に当裁判所に顕著なカノン法、典範の内容を総合すると、控訴人が本件除名処分をうけるにいたつた事実関係及びカノン法、典範上の根拠がすべて引用にかかる原判決事実欄の被控訴人主張((原判決一七枚目(記録番号59)裏五の1から二四枚目(記録番号66)表3の末尾(二四枚目裏七行目)まで))のとおりである(ただし、除名権者及び除名の効力に関する被控訴人の見解部分を除く。)こと、聖職者たる修道者がカトリック教の教義である三誓願を遵守する義務を負うのは、修道者が、神キリストの清く貧しく聖なる生活にならうと共にその教義を伝えるため、自らは神キリストから授権された聖なる地位につき、家庭生活上の諸義務から解かれて、生涯を信者の家庭生活の聖化、救霊に献身すべき役割を負うからであり、この三誓願は修道者たる者の地位を取得し、かつ継続するためのカトリック教の教義の根幹をなすもので、カノン法及び典範において強くその遵守を要求されるものであることが認められ、ほかに右認定を動かすに足る証拠はない。

なお、以上の認定の事実関係のうち、除名権者について付言するに、本件除名処分の本来の除名権者は、オーストラリア地区総長にあるが、日本管区長(被控訴人教会代表者が兼務)もカノン法六五三条、典範一五六条にいう上級上長者として管区内の会員の除名権限を有するものとされ、本件については、日本管区長において、管区役員会の議を経たうえ、オーストラリア地区総長との連署の書面によつて控訴人を除名処分にしていることは、前掲証拠によつて明らかである。

ところで、以上の事実関係を前提として除名処分の効力を考えるに当つては、本件除名処分の理由とされるものが三誓願違反であり、カトリック教の教義に違反したかどうか、また違反内容の重大性、緊急性の程度をどのように評価するか等宗教上の教義の内面にわたる解釈、評価、判断の問題に関するものである点からして、世俗裁判所がこれに関与することは、まさに宗教裁判所の裁判を代行することにほかならず、それは、世俗裁判所が本来宗教団体内部の自治に委されるべき宗教上の教義に介入することを意味し、許されないこと前記説示のとおりである。

本件については、前記説示のとおり除名処分の動機及びその内容、手続について、公序違反その他我が国の国家秩序維持の面からみて許されないと認められるような著しい裁量権の逸脱があつたかどうかの観点からのみこれを判断すべきところ、前記認定の事実関係からすると、控訴人が被控訴人教会に属する修道者として遵守義務を負うカノン法及び典範所定の三誓願に違反した行為についてなされた本件除名処分は、その動機、及び内容、手続において、特段に公序違反等著しい裁量権の逸脱と目すべき点はない。したがつて、本件除名処分は有効であり、控訴人はこれによつて修道会会員たる地位及び被控訴人教会の会員たる地位を喪失したものといわねばならない。

四控訴人の主張について

1  控訴人は、本件除名処分にあたり、その理由を告知せず、また、これに対する控訴人の弁解の機会を与えなかつた違法をいうが、カノン法及び典範において、このような手続を要する旨の根拠はなく、また我が国の憲法上要求される適正手続は、国家権力に対する国民の権利として保障したものであり、宗教団体内部の自律規範に対してまでこれを及ぼすものではない。したがつて、右事実があつたとしてもこれをもつて違法ということはできない。

2  控訴人は、本件除名処分の根拠規定がカノン法六五三条とされていることについて、右は修道会施設からの退去規定であり、除名規定ではない旨主張するが、当裁判所に顕著なカノン法及び典範によれば、カノン法六五三条は同法第一六章の「修道者の退会」の章の中におかれており、かつ一般の退会より厳重な要件である使徒座の裁定を要するとしていること、及びカノン法六五三条をうけてこれと同趣旨の規定を置いているとみられる典範一五六条には「修道者を直ちに退会させることができる。」旨規定しており、これら法典の位置づけ、及び文言内容からみてカノン法六五三条は退会させることを前提とした規定であることに誤りはない。

3  控訴人は、カノン法六五三条にいう「外部的醜聞」及び公然性についての解釈適用に関する原判決の誤認をいうが、これに対する当裁判所の判断は前記説示のとおりであり、これについて、公序違反と目すべき裁量権の逸脱は認められない。

4  控訴人は、被控訴人教会の他の会員の同種貞潔の誓願違反に関し、被控訴人教会がとつた措置との関連において、本件除名処分の不均衡性、重大性欠如を主張する。<証拠>によれば、問題とされたB神父、C神父の両名が、女性との関係をもち、同女性らとの間に子供をもうけた事実が認められ、貞潔の誓いに反したことは明らかである。しかしながら、両名については、このほかの従順、清貧の誓いに反した事実は認められず、かつ、両名はこのことを理由に自ら反省して修道会を退会し、すでに自らの罪を償つていることが認められる。したがつて、右のような本件と事情を異にする事例との対比において、本件処分の不均衡性、重大性欠如を云々すること自体失当というほかない。

5  控訴人は、その他本件除名処分に関し、除名理由がすでに過去に属することがらばかりであること、本件除名の真の目的が人間関係上とかく調和を欠く控訴人を被控訴人教会から排除しようとすることにあり、除名理由は口実に過ぎない旨縷々述べるが、すでに説示したとおり、本件除名処分には、その動機、内容等において、控訴人主張のような裁量権の逸脱はない。

6  さらに、控訴人は、被控訴人教会における会員たる地位は、労働契約における労働者たる地位をも併有する旨主張するが、すでに冒頭の被控訴人教会における会員たる地位において説示したとおり、控訴人は、宗教団体内部の自律規範に基づき、清貧の誓いをたて修道会に入会したもので、それは神キリストに対する無償の奉仕を約したものというべきであり、労働力の提供とこれに対する報酬を約したものとはいえない。これによつて控訴人において、居住その他生活面で生活上の利益を得ることはあつたとしても、それは労働契約にいう対価ないし報酬たる性格をもつものとはいえない。労働契約成立を前提とする控訴人の主張は、その余を判断するまでもなく失当である。

五控訴人は、当審において、原審でした書証の成立の認否を撤回してこれを変更し、被控訴人はこれに対し異議を述べているが、書証成立の真正についての自白は裁判所を拘束せず自白の撤回は許されるものと解される(最高裁五二・四・一五第二小法廷判決参照)。本件については、右見解を前提として判断をした。

第三結論

よつて、本訴請求を棄却した原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(柏木賢吉 加藤義則 玉田勝也)

別紙(一)、(二)<省略>

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